韓国内での外国人労働者をめぐる構造は、日本と類似する点が多い。
従来韓国では、日本と同じく在留資格制度(ポジティブリスト)によって、受け入れを専門技術を有するものに限ってきた。
しかしソウルオリンピックと前後して経済成長を迎えることによって、労働力不足が顕著なものになった。そこで政府は1991年に開発途上国の技術向上を名目として産業研修制度を導入し、実質的に非熟練労働者を受け入れた。ところが、研修生がより高賃金をもとめて研修先で失踪、不法就労化する事態が相次いだ。政府は数々の対策を講じたが効果はなく、2002年には全外国人労働者数の8割が不法滞在となるに至った。
このため、2003年に不法滞在者に対するアムネスティ(合法化)を行い、翌04年には労働市場テストを用いた外国人雇用許可制を開始し、非熟練労働者の本格的な受け入れに踏み切った。
アメリカにおける外国人受け入れは移民政策が中心だが、ここでは非移民の動向、その中でも大半をなすメキシコからの労働者について述べる。
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20世紀初頭にアメリカ・メキシコ間が鉄道で結ばれると、多くのメキシコ人が合衆国に向かい、南部や西部諸州で鉄道建設や農業に携わった。特に第一次世界大戦後は労働力不足のために流入は急増した。しかし、後に大恐慌時代を迎えると、失業・政府の帰国奨励策・人種差別などのために、彼らの多くが帰国した。
第二次世界大戦が勃発すると、南部の農業労働を中心に再び労働者不足にみまわれるようになった。そのため合衆国は各国と二国間協定を結んで労働者を受け入れるブラセロ計画を1942年から推し進めた。カリブ海諸国やカナダとも協定を結んだが、受け入れのほとんどはメキシコからの労働者となった。1965年にブラセロ計画は廃止されたが、帰国しない外国人労働者は多く、不法滞在化や密入国の問題が深刻となっていった。